鹿だと思ったら人だった・・・ 誤射事故の法的構成(錯誤論)

「シカと間違えた」誤射で死亡させた疑い 自営業の男逮捕 北海道 海道警千歳署は21日、恵庭市の山林でシカ猟の最中に猟銃を誤射し、林野庁北海道森林管理局恵庭森林事務所の男性職員を死亡させたとして、業務上過失致死の疑いで札幌市の自営業、佐孝英司容疑者(49)を逮捕した。「シカと間違えて撃った」と、容疑を認めている。 https://www.sankei.com/affairs/news/181121/afr1811210006-n1.html 今回、教科書事例と言われる事件が発生してしまいました。 シカを駆除しようと猟に出たところ、シカだと思って撃ったら人だったというもので、これが事実であった場合はどのような判断がなされるのでしょうか? 客観的に人を撃って主観的には鹿を撃ったとしても、結果として殺したということは、殺人罪になると考えることが出来ます。 また、撃つという意思はあったが、人とは思っておらず、よって過失致死罪成立すると考えることもできます。 ではどのように考えるべきでしょうか? 結論から申せば業務上過失致死罪が成立します。 詳しく解説をしたいと思います。 日本の刑法において、故意犯処罰の原則というものがあります。 やろうと思ってやった行為について罪を問うが、そうではなくうっかりしてやった行為については罪を減らすというものです。 例えば、人を殺そうと思って殺した場合に殺人罪と言われることに疑問はないと思います。 しかし、車を運転していて飛び出してきた人をうっかりはねてしまったしまった人にも殺人罪といわれると疑問が生じると思います。 結果としての『死』ということは一緒ですが、その時に使う考え方つまりフィルターは『故意』です。 しかし亡くなった遺族、友人などからすれば許せない気持ちになることも理解ができます。 しかし、法というとフィルターを使う際には仕分けをして考えるべきと思います。 また今回の事例では猟という資格を持って反復継続していることから業務性が認められます。 よって業務上過失致死罪が成立すると考えます。 この考え方については一朝一夕理解できるものではないと思いますが、またちょっとずつ説明をしていきたいと思います。

姫路市鉄道駅周辺整備プログラムについて -平成30年度交通臨海部活性化特別委員会視察①-

姫路市鉄道駅周辺整備プログラムについて説明を受けました。 このプログラム策定の目的として、高齢者など自動車を運転できない人の移動利便性をどのように確保していくかが課題であると考え鉄道やバス等の公共交通ネットワークにより、地域間の交流・連携を図るまちづくりを目指し、鉄道駅の役割が重要となると考えているからであるとのことでした。 構想中の姫路・英賀保間新駅を含めた市内32駅のうち整備済み及び事業中の駅を除いた22駅を今後整備が必要な駅としました。 また、姫路市では、鉄道駅を中心にしたまちづくり、エリアマネジメントをするために鉄道駅周辺整備整備室を設置し、この部門が町内連携の調整を行なっていました。 姫路駅を出るとまずは北側に国宝姫路城が真正面に見えます。 姫路駅では多くの外国人観光客が姫路城を目指して歩いている姿を見ました。 まさにインバウンドとしてのお客様です。 またそれにともない、城周辺には忍者や刀など歴史をモチーフにした多くのお店が並んでいました。 観光客の方々が喜んでくれるスキームは整っているように感じました。 その姫路駅周辺の土地区画整理事業、また、駅南北1ヶ所ずつの再開発事業といった多面的な事業により整備が進んでいます。 他方、JRのローカル駅や山陽電鉄の駅といった決して大きくない駅にも目が向けられていました。平成に入ってからも3つの新駅、11ヶ所の整備といったように着実に進んでいます。 駅前広場整備とバリアフリー化、道路の拡幅、自転車駐輪場整備、東西自由通路の整備など進めていました。 また、まちづくり協議会が地元発意で設立され、具体的に検討している例があると伺いました。多くの声を反映させるだけではなく、どこに予算投下すべきかを議論することにより、市政への住民参画が進んでいました。 これも多くの来街者による経済の活性化、地価上昇などによる税収増加などが背景にあると思いました。 公共交通の維持、強化は沿線住民、とりわけ高齢者などには大きな課題であることから、進める必要を学んだ視察となりました。 今回は、市内の一部しか見ることが出来ませんでしたが、次回は山陽電鉄やJRローカル線に乗車、駅にての下車などを行いたいと思いました。 この視点を大田区政にも活かして行きたいと思います。

子育てママの救世主@綱島ちひろ(一般社団法人BTmama)

妊娠・出産を期に人生がガラリと変わったという綱島さん。 そんな綱島さんの仕事と深川先生との関わりを聴いてみました。 綱島ちひろさん 一般社団法人BTmama代表理事 山形県出身 高校を卒業後、大手企業に就職 2014年子育てママの支援を目的にBTmamaを設立 ピンチをチャンスに! 『建築や設計がやりたい』これが私の夢でした。 一時は工業系の学校を目指すこともありましたが、両親の勧めで進学校を受験することになりました。 入学できたことに満足し、そこからは“やりたいことをやろう”と自由気ままに学生生活を送りました。 卒業後は進学せずに、大手企業に就職しました。そこから働くこと6年。会社を辞め、カバン一つで上京しました。 ― 上京してからの日々を教えてください! 夢と言えど、知識も経験もない状態。ただ好きというだけ。 それでも何かきっかけがほしくて、設計会社に直接交渉し、お茶くみをさせてもらいました。 持ち前の明るさで、営業を任されるようになり、お客様が何を望んでいるのか意思を汲み取る楽しさを知りました。 当時は、六本木に住んで渋谷で働く、一見華やかな生活を送っているように見えますが、現実は、住みにくく、いい環境とは言えず…。ダニに噛まれ、病院に運ばれる始末。それからは生活を改め、上京していた家族の住む大鳥居へ引っ越しました。 その後、結婚し設計会社を退職。大田区の町工場で働き始めました。 それからしばらくして、産休に入り、子どもをもつ喜びと同時に子育ての難しさを感じるようになりました。 子育てママも輝ける ― 出産後はすぐに復職されたんですか? 高校を卒業してから、働き続けていた私は仕事をしているのが当たり前になりつつありました。 でも保育園に入ることができず、退職し専業主婦になりました。 職場に戻れず、子育てに追われる毎日に鬱々としていると、前の職場から声がかかり自宅でできる仕事をもらいました。 それが今のBTmamaの原点である、『不動産の物件登録』でした。 『不動産の物件登録』と言っても、項目ごとに文字を入力する、一軒あたり5分程度の単純作業です。私は、その一つ一つを丁寧に、より分かりやすく、見やすく加工・修正したんです。それが認められ、反響がでると依頼件数も増えていくようになりました。 でも段々と子育てがおろそかになっていき、これはダメだと感じ、仕事を受けないのではなく、ママ友に声をかけ手伝ってもらうことにしました。 声をかけてみると、「やりたい!」というママが意外と多かったんです。 需要と供給が合致した結果、依頼件数が急増し、税務署に行くことを勧めらるまでに発展しました。 税務署に行くと、開業届を提出するよう言われ、“屋号”の記載を求められました。 考え出した結果が『B.ベストT.チームmamaママ』です。 BTmama誕生! 2014年の設立当初は、私を含め3人。「営業・人事・人材育成」と自然と役割分担されスタートしました。 原点に立ち返りビジョンをしっかり持つ。まずはBTmamaとしてのミッションとビジョンを明確にしました。 Mission  全てのママが「子育て第一」にしながら 「あたらしい働き方」を自ら創っている社会にする Vision  働くママが我が子の成長と笑顔をひとつも見逃さないまち まずは0,1,2歳の一番手のかかる時期の子どもをもつママに、仕事(役割)を与え、社会との接点を作る。手が空いたときにできる。それくらい簡単な仕事にする。スキルがなくてもやりやすく、成功体験ができる場所にしたいと考えました。 経験上、子育て『だけ』ではないことが、意外とストレス発散になったりするんです。 ノルマやシフトはなく、自分のできる範囲だけをこなしてもらう。 あくまでも社会復帰へのリハビリ。それでも、「これはママがやったんだよ」という目に見えたものがあることに意味があると思っています。 ママたちはとにかく責任感も強く、仕事が丁寧です。お願いした以上のものが返ってきます。 もちろん全ての人にそれを求める訳ではないですが、自主的に業務改善され、システムがハイテク化され… 代表である自分が付いて行けずに、驚かされます。 ― 苦労したことはありますか? 実際、働きたいママは多かったですが、設立当初は仕事をやらせて賃金が支払われない。教材を買わせて雲隠れ。そんな“在宅ワークの詐欺”が横行していた時代で、不安視するママも少なくはありませんでした。 今やっていることがどれだけ世の中に必要とされているのか、このやり方は間違っていないか。 第三者に評価してもらいたいと思うようになりました。 そこで『大田区ビジネスプランコンテスト』に応募することを決めました。 ありがたいことに事業の内容が認められ、“最優秀賞”を受賞することができました。 それまでも幾度となく力を貸してくれた、主人とお義母さんからも『全力で応援する』と心強い言葉をもらいました。 きっかけはどこにでもある […]

未来に繋ぐ弁当屋@山﨑大作さん(山六給食株式会社)

配達・営業を経験し、仕出し弁当部責任者となりメニュー開発から発注までマルチにこなす山﨑さん。 そんな山﨑さんの仕事と深川先生との関わりを聴いてみました。 山﨑大作さん 山六給食株式会社常務取締役 大田区出身 昭和39年創業の事業を両親から引継ぎ、兄弟で会社を支える。 仕出し事業部・学校給食部・企業食堂委託と事業を展開 会社ではなく、お客様に認められたい ― 両親の仕事を継ぎたいと思っていましたか? 毎日、夜中3時からお弁当の仕込みを始め、帰ってくるのは19時過ぎ。 自分たちが寝静まってから給料計算が始まり、喧嘩する両親を見ていたので、継ぐ気はありませんでした。 長時間労働に休みなし、どこかに連れて行ってもらった記憶もなく、両親の仕事に対してあまりいい印象は持っていませんでした。 だからと言って、他にやりたいことがある訳でもなく、高校もすぐに辞めてしまいました。 丁度その頃、父が倒れ、「ふらふらしているなら」と仕事を手伝ようになりました。 最初はパート扱いで、早朝から3時間程度働いていました。そのときも、継ぐ気はなくお手伝い感覚でいました。 ― 継ぐことを決意したきっかけは何ですか? 18歳で免許を取得し配達を任されるようになりました。 その頃は、学歴がないという劣等感から、誰からも対等には扱ってもらえないと考えていました。 でも、最初に任されたお客様は、本当に優しい方で学歴や見た目で判断せずに自分自身を見てくれました。 対等に話してくれる人がいる。頑張れば認めてくれる人がいる。 その出会いが自分を大きく変え、仕事に充実感を与えました。 それが仕事を本格的に継ごうと思ったきっかけです。 ― 苦労したことはありますか? 配達を続け、1年後には営業も任されるようになりました。 社会人としての経験がなく、多くの失敗もありました。 営業先で理不尽にお弁当を投げつけられたり、理由も分からず罵倒され悩むこともありました。 そんなときでも、自分に力を貸してくれたのがお客様でした。 服装・名刺の渡し方・謝罪文の書き方など、社会人として必要なことも教えてもらいました。 仕事に人生を捧げる人との出会い ― 深川先生の印象を教えてください 深川先生に会ったのは、議員になるよりも前の秘書時代。 お互いにまだ若く、今こんな関わりを持つとは思ってもみませんでした。 親の付き合いで、多くの議員さんと会ってきましたが、深川先生と関わることで議員さんのイメージはガラリと変わりました。 頭が良く物知りだけど、何事にも親身になってくれ、親近感があり、身近な存在。 今でも六法を勉強していたり、働きすぎなんじゃないかと心配になるほど努力している。 ここまで誰かのために、人生を捧げている人は見たことがなかったです。 深川先生との出会いも、自分にとてもいい刺激を与えてくれました。 目指すは日本一地球に優しいお弁当屋さん ― 今後の課題はなんですか? 食材・味はもちろん、使うもの全てにこだわりを持ち、 『人に感謝される仕事』それが“環境に優しくない仕事”と言われないよう、 子どもたちに胸を張っていられる仕事をしたいと思うようになりました。 入社当初は、お弁当の容器を回収し一つ一つ洗浄していましたが、使い捨て容器に変更。 水の使用量を30%削減しました。 でも、現在のお弁当容器は、プラスチックが主流のため、もっと環境に優しい素材のものはないか探し始めました。 そこで目を付けたのが、日本で唯一自給自足が可能な資材『石灰石』で紙を作る企業です。 プラスチックと違い、燃やすことができるため、CO2が20%削減できます。 まだお弁当容器としての製造はされておらず、実用化に向け、ゼロからのスタートとなりました。 新たなお弁当容器を開発・製造してもらおうにも企業には何度も断られました。 最終的には熱意で何とか認めてもらい、試作段階ですが形にすることができました。 […]

想像をカタチにする@三宅創太さん(合同会社ツクル)

未来志向の企画支援を事業とする三宅創太さんをインタビュー。 大手コンサル会社で10年間経験を積み、プロジェクトを引き継ぐ形で会社を設立。 そんな三宅さんの様々な取り組みと深川先生との関わりについて聴いてみました。 三宅創太さん 合同会社ツクル代表 福岡県出身 大手コンサル会社で経験を積み、2014年3月合同会社ツクルを設立。 地方創生や地域復興事業などみんながHappyになれる世の中を目指す。 合同会社ツクル・代表の他、一般社団法人創生する未来の理事などを務める。 まずは家族の幸せから ― 今の仕事を始めたきっかけはなんですか? 前の会社は、入社から3年で独立し、「実際に経営者となり経営者の苦しみを分かった経営コンサルタントを目指す」というのが会社の方針でした。 私は、入社3年目に子供が産まれたこともあり、独立のタイミングではないと判断し、最終的には10年という歳月を過ごすことになりました。 5年目を迎える頃、独立へのモチベーションも下がり、現状に満足し仕事を続けていました。 会社としてみっちりと育て上げられた私は、7年目でやっと独立を決心するも、もう少し育ててやると大きなプロジェクトを任され、そこから辞めるまでの2年間は、IoTの先駆けとなるプロジェクトを遂行するため名古屋で仕事をしました。 2年でプロジェクトが打ち切りとなり、その中で進めていた事業を継続したいと想いを伝えると、会社設立時に自ら手掛けた事業は譲渡すると言ってくれ、合同会社ツクルを立ち上げることができました。 独立後すぐは名古屋と東京を行き来する日々が続きました。 ― 会社設立時にこだわったところはありますか? 大手コンサル会社での仕事は、家族にも業務内容を言ってはならない就業規則があり、どんなに忙しくても年間100日以上の出張に行こうとも、何をやっているのか話ができませんでした。 その頃、妻自身も子育てに追われ、話ができない状況は、お互いの気持ちの余裕を奪っていました。 そこで会社設立の際は妻には共同経営者になってもらい、業務の報告義務を持たせました。 今日は誰と会う、どんな仕事をしている。役員である妻には全てを伝えます。 今はその時間を大切にしています。 深川先生との出会い ― 出会いのきっかけはなんですか? 会社設立から2年ほどかけ、名古屋での仕事を縮小し、東京・大田区へ拠点を移していきました。 結婚を期に大田区での生活を始めたため、大田区に拠点を移すにも全て手探り状態でした。 そんな中で自分の使い方にあったコワーキングスペースを見つけ、拠点にしたのがすべてのきっかけになりました。 東京・特に大田区で出来そうな事業を具体化する中で、同じコワーキングスペースを利用するメンバーから、 大田区をよく知る人を紹介してもらいその繋がりで深川先生に出会いました。 ― 深川先生の印象を教えてください 深川先生は地元を熟知し、経営に関する知識も持ち合わせ、事業の具体的な話が出来る人でした。 出会ったばかりの私の話も熱心に聞いてくれ、様々な道を作ってくれました。 今でも、その豊富な知識と人脈に助けられています。 より多くの花を咲かせたい ― 仕事をする中で目指すことはなんですか? 誰しもが熱い想いを秘めていて、それに気付けずにいる人、頭で理解していても実行に移せない人、やり方が分からない人。 多くの想いがある分、多くの悩みも生まれます。 それをカタチにするために、最善の道へ誘導してあげること。 そして事業の付加価値化を実現し、さらには専門家による支援体制の構築により基盤を固める。 それが複合的な価値を見出し、産学金官の連携モデルとなる持続可能な事業となります。 それが私の目指すHappyな事業のカタチです。 ― 心がけていることはありますか? 事業を『植物』に見立てたとき、4つの要素が必要になります。 【土】事業を創造しカタチにできる環境 【種】経営・企画・運営能力や行動力を持ったリーダー 【光】同じ志を持つメンバーが揃う人材ネットワーク 【水】軍資金 現在までに、【土】【種】【光】この3つは蓄えに余裕が持てるようになりました。 これからは清らかな【水】をどれだけ蓄えられるか。それがミッションだと思ってます。 ここ、『場笑―BaShow-』もその要素の1つです。 仲間からの声掛けで、私を含めた4人が集まって立ち上げた場所です。 共同オフィスといっても、20名程度のワークショップなどが開催できるスペースを残し、週に2~3回は様々なプロジェクトが動き、より多くの人材が集まる“場笑”になっています。 私自身、今後も大田区を起点に、常駐のオフィスは持たずに全国を走り続けたいと思います。 […]

大田区に愛されるビール造り/大屋幸子さん(羽田バル)

飲食店を開くことを目標に働く中で、地元で活躍する多くの経営者と関わり刺激を受ける。 その中の一人との出会いがきっかけで念願の飲食店をオープンすることができた大屋幸子さんをインタビュー。 ビール造り・販売を通し、新たな取り組みを見出し事業を展開する大屋さん。 そんな大屋さんと深川先生の関わりについて聴いてみました。 大屋幸子さん 羽田バル・店長 東京出身 高校を卒業後すぐに大手企業に就職。学費・家賃の援助が受けられず、がむしゃらに働いていた学生時代の給料の差に愕然とし転職。 保険会社の営業として町工場を巡る日々。そのときの出会いがきっかけとなり、2017年6月、羽田バルをオープン クラフトビール工場・工場長との出会い ― 羽田バル、オープンの経緯を教えてください 『羽田バル』はすでにお店が出来ている状態だったんです。 まずその辺の経緯からお話すると、保険会社に勤めていた時、お客様が「大田区でクラフトビール工場を建てた」という話を聞きました。 工場長は、元々『大田区は特産品が少なく、観光地へ移動するための通過点になっている』と感じており、地方創生・都市創生を軸に、地域復興のため工場を建てたそうです。 クラフトビールは、外国の方が好きだということで目をつけ、『羽田ビール』を作りました。 ふるさと納税など、何かアイテムになるのがテーマの一つということは、私にとってもすごく魅力のあるものでした。 お話を聞いているときは、将来自分でお店を持ったときに『羽田ビール』を扱いたいな。ぐらいに考えていたました。 それからしばらくして、ビール造りを一緒にやっていた人が居なくなったということを聞き、「私がやりましょうか?」と飛び込み今に至ります。 すでにお店の場所も決まっており、約7割の内装工事も終了している状態で、お店を任されることになりました。 その状態では何も手を付けられず、そこから約2か月で強行オープンしたのが『羽田バル』です。 ― お店をオープンして一番苦労したことはなんですか? お店をオープンして半年は、PRや接客など全て一人でやっていました。 それはもう必死に働きましたが、一人で抱え込んでいる間は上手くいくことはありませんでした。 そんなとき、以前の同僚が厨房スタッフとして手伝ってくれることになり、やっとお店がまわるようになりました。 今では、商材選びからメニュー開発、全てを任せており、私は大好きなビールに愛を注ぐことができています。 ― お店が落ち着いて、最初に取り掛かったことはなんですか いざビールを広く周知・販売しようと営業をかけ始めたとき、 クラフトビール工場で働く従業員からの文句が多くなり、仕事をサボる人まででる始末。 実際、工場での仕事は単調で、ひたすら同じ動作のため、私にとってはとても長い時間できるものではありませんでした。 ですが、仕事として請け負っている以上、責任を持ってこなしてもらう必要がありました。 そんなやる気の低さに頭を抱えているとき、障害者が働く姿を目にし、「こういう方々と仕事をしたい!」クラフトビール工場で働いてもらえないかと考えるようになりました。 障害者の働く拠点を作りたい 飲食業の魅力は『ありがとう』が直接聞けることだと思っています。 だからこそ、工場の中でビールを作るだけでなく、そのビールを飲んで喜んでいる姿、笑っている姿を見てもらい、自分が働くことの役割を感じてもらうことを目標に拠点作りを目指しました。 まずは、知ることが一番だと思い、いくつかの施設を見学させてもいました。 みんなとても心がピュアで、仕事を全うしているのがとても印象的で、より一層、想いが強くなりました。 ― どんな働きかけをしたんですか? そのとき出会ったのが、地域連携コーディネーターとして活躍する櫻井さん(※インタビュー記事はこちら)です。 頭の中で思い描くものを、カタチにするため多くの手助けをしてもらいました。 大田区役所の中にある、“バルコスモ”が想像をカタチにした一号店です。 お店の中で障害を持った方に、瓶詰やラベル貼りをやってもらい、実際に簡単な接客もお願いしています。 でもまだまだ、入口です。これからは、障害を持った方が働ける拠点をもっと作りたいです。 今ある工場は、障害を持った方の雇用を考えて建てていないため、 もっと働きやすい環境を整えた工場、そして飲食店をここ大田区でと考えています。 最終的な目標としては、“羽田空港”で工場と飲食店が一つになったお店をオープンすることです。 道しるべとなる存在 ― 深川先生に会ったきっかけはなんですか? 深川先生と初めてお会いしたのは、櫻井さんにご紹介してもらったのがきっかけです。 子育てをする中で、地域のボランティア活動などを通し、議員さんとの関わりがあったため、 深川先生に対しても抵抗感がなく会うのがとても楽しみでした。 ― どんな仕事をしていますか? 池上梅園など大田区の名所で酵母を採取できないか、許可取りに動きましたが、難色を示され上手く話が進みませんでした。 そこで道を作ってくれたのが、深川先生です。 お会いしたときに、羽田ビールや今後の展望をお話すると、「これはこうするといい。」「これはここに行くべき。」など、知識や人脈の多さに驚かされるばかりでした。 […]

人の繋がりを大切に@本田啓夫さん(株式会社クオーレ)

遺品整理という仕事に出会い、人の人生に関わる素晴らしさや感謝される喜びに触れたという本田啓夫さんをインタビュー。 遺品整理は行政との連携が必要不可欠ということもあり、深川先生のいる大田区へ。 今後の展望と深川先生との関わりについて聴いてみました。 本田啓夫さん 株式会社クオーレ・専務取締役 神奈川県横浜市出身 高校生で格闘技のプロを目指し、日々練習に明け暮れる。高校を卒業し、鍛えた肉体を活かし引っ越し業者に入社。 練習と仕事を両立するも、夢半ばに目標を失い仕事にも身が入らない時、ある人の熱い想いに触れ、平成24年株式会社クオーレに入社。 きっかけは2人との出会い ― 今の仕事を始める前は何をしていましたか? 学生時代、“プライド”が全盛期で自分もそのリングに上がることを夢見てました。 でもプライドが潰れて、リングに上がる夢が消えたとき「何してんだろ。」って自分がよく分からなくなりました。 それでも格闘技が好きだったので、パーソナルトレーナーを目指してジムで働き始めたけど、理想と現実の壁にぶち当たり断念。 それからは鍛えた身体を活かせると思って、引っ越し業者で働いていました。 ― 今の会社に入社したきっかけはなんですか? 引っ越し業者での現場仕事にも疲れ、特に夢もなく何となく過ごす中で、今の会社から引き抜きの話が来ました。 当時勤めていた引っ越し業者は、繁忙期になるとランキング制となり、そこで1位を獲っていたので即戦力として期待されてたんだと思います。 でも現場が嫌でずっとお断りしていました。それでも粘り強く声をかけてくれるので、お試しでアルバイトとして入社しました。 ― アルバイトから正社員になるきっかけが何かあったんですか? 入社当初は、一人で黙々と仕事をこなす、『一匹狼タイプ』で特に誰かと楽しさを共有することはありませんでした。 そんなとき、社長と副社長からご飯に誘われご一緒しました。 二人は、自分にとても熱く仕事への想いを語ってくれました。 その想いに触れ、共感し、二人と仕事をしたい。きっと面白くなる。そう感じました。 それがきっかけで正社員になり、横浜支店の支店長を経て役員となりました。 深川先生と出会い大田区に ― 深川先生との出会いはどこですか? 大田区で活動している男子バスケットボールチーム・アースフレンズZさんのスポンサーをしており、その経緯で深川先生を紹介してもらいました。 紹介されたとき、議員さんは年配だろう。という勝手なイメージを持っていました。 なのでお会いしたときは、“若い”というのが第一印象。でも物腰が柔らかく気さくで話しやすい方なので、議員さんのイメージはガラリと変わりました。 ― お仕事での関わりはありますか? 遺品整理などにおいて、行政の協力は必要不可欠です。 今、深川先生には行政との連携における橋渡しをしていただいているところです。 大田区は元々相談依頼も多く、我々のサービスを必要としている方が多いと感じます。 今後、深川先生の力も借り、大田区に根付いた、皆さんが求めるサービスを提供したいと考えています。 ― それで大田区に事務所を構えることに? 深川先生が居るので、ここ大田区に支社を持つことになりました。 最初は蒲田周辺で探していたのですが、条件の合うところと出会えず大森まで範囲を広げました。 大森で紹介された場所が、上の階に以前インタビューを受けていた菱田司法書士事務所さん(※インタビュー記事はこちら)ということもあり即決しました。 大田区から発信する 入社当初は不用品回収がメインでしたが、遺品整理の需要が増えつつあったことから、関東での事業展開を弊社で請け負うことになりました。 『遺品整理』は偏ったイメージを持たれがちですが、涙ながらに感謝される素敵な仕事です。 もちろん生活されていたそのままの状態なので、食べかけのものがあったりと最初は衝撃を受けることもありました。 だからこそ中途半端なことは許されないし、しっかり考えながらやらなければならないと思いました。 ― 働いて感じる会社の魅力を教えてください 仕事をする中で感じるのは、必要な情報を知らない方が多いことです。 家族が亡くなったとき、悲しんでいる暇もないくらいやることがたくさんあります。 会社の魅力は、お客様の声から生まれた、『ワンストップサービス』。 遺品整理から不動産売却、各種事務手続きまで全てを自社で請け負います。 […]

視察に行って他の自治体のいいところを取り入れよう@京急蒲田カフェクォード

サッカーとブレーメン ※深川先生はドイツ好きで、大田区の中学生が毎年訪問しているブレーメン市に自費で何度も訪問してます。 ブレーメンでの活躍を祈念しております‼️ 大迫 求められるのはゴール「逃げずに突き詰める」 新天地・ブレーメンでの活躍誓う(スポニチアネックス) https://t.co/MuKmYXfSyd — 深川みきひろ (@Fukagawa_M) 2018年7月26日 ※ たむさんは前職、芝生管理の仕事でサッカー場のスタッフしてました。 視察は遊びなの?何してるの? 本日13時から16時まで、モデル的に大田区役所本庁舎駐車場にて洗車サービスを行います。洗車は、障がい者就労支援事業所のスタッフ(障がいのある方を含む)が洗浄液を使ってふき取って行います。料金500円(現金のみ)所要時間は概ね10分程度です。ぜひご利用ください。 pic.twitter.com/7AijMhtp3h — 大田区 (@city_ota) 2018年7月18日 ドイツ視察で学んだ障害者の洗車サービス ヴェルダーブレーメンのWでポーズ おしまい 店舗情報 カフェクォード ▼営業時間:木~土曜日11:00〜21:00(15:00~17:00休憩中)  ▼問い合わせ:03-3735-7280 ▼所在地:大田区南蒲田1-16-6