子育てママの救世主@綱島ちひろ(一般社団法人BTmama)

妊娠・出産を期に人生がガラリと変わったという綱島さん。 そんな綱島さんの仕事と深川先生との関わりを聴いてみました。 綱島ちひろさん 一般社団法人BTmama代表理事 山形県出身 高校を卒業後、大手企業に就職 2014年子育てママの支援を目的にBTmamaを設立 ピンチをチャンスに! 『建築や設計がやりたい』これが私の夢でした。 一時は工業系の学校を目指すこともありましたが、両親の勧めで進学校を受験することになりました。 入学できたことに満足し、そこからは“やりたいことをやろう”と自由気ままに学生生活を送りました。 卒業後は進学せずに、大手企業に就職しました。そこから働くこと6年。会社を辞め、カバン一つで上京しました。 ― 上京してからの日々を教えてください! 夢と言えど、知識も経験もない状態。ただ好きというだけ。 それでも何かきっかけがほしくて、設計会社に直接交渉し、お茶くみをさせてもらいました。 持ち前の明るさで、営業を任されるようになり、お客様が何を望んでいるのか意思を汲み取る楽しさを知りました。 当時は、六本木に住んで渋谷で働く、一見華やかな生活を送っているように見えますが、現実は、住みにくく、いい環境とは言えず…。ダニに噛まれ、病院に運ばれる始末。それからは生活を改め、上京していた家族の住む大鳥居へ引っ越しました。 その後、結婚し設計会社を退職。大田区の町工場で働き始めました。 それからしばらくして、産休に入り、子どもをもつ喜びと同時に子育ての難しさを感じるようになりました。 子育てママも輝ける ― 出産後はすぐに復職されたんですか? 高校を卒業してから、働き続けていた私は仕事をしているのが当たり前になりつつありました。 でも保育園に入ることができず、退職し専業主婦になりました。 職場に戻れず、子育てに追われる毎日に鬱々としていると、前の職場から声がかかり自宅でできる仕事をもらいました。 それが今のBTmamaの原点である、『不動産の物件登録』でした。 『不動産の物件登録』と言っても、項目ごとに文字を入力する、一軒あたり5分程度の単純作業です。私は、その一つ一つを丁寧に、より分かりやすく、見やすく加工・修正したんです。それが認められ、反響がでると依頼件数も増えていくようになりました。 でも段々と子育てがおろそかになっていき、これはダメだと感じ、仕事を受けないのではなく、ママ友に声をかけ手伝ってもらうことにしました。 声をかけてみると、「やりたい!」というママが意外と多かったんです。 需要と供給が合致した結果、依頼件数が急増し、税務署に行くことを勧めらるまでに発展しました。 税務署に行くと、開業届を提出するよう言われ、“屋号”の記載を求められました。 考え出した結果が『B.ベストT.チームmamaママ』です。 BTmama誕生! 2014年の設立当初は、私を含め3人。「営業・人事・人材育成」と自然と役割分担されスタートしました。 原点に立ち返りビジョンをしっかり持つ。まずはBTmamaとしてのミッションとビジョンを明確にしました。 Mission  全てのママが「子育て第一」にしながら 「あたらしい働き方」を自ら創っている社会にする Vision  働くママが我が子の成長と笑顔をひとつも見逃さないまち まずは0,1,2歳の一番手のかかる時期の子どもをもつママに、仕事(役割)を与え、社会との接点を作る。手が空いたときにできる。それくらい簡単な仕事にする。スキルがなくてもやりやすく、成功体験ができる場所にしたいと考えました。 経験上、子育て『だけ』ではないことが、意外とストレス発散になったりするんです。 ノルマやシフトはなく、自分のできる範囲だけをこなしてもらう。 あくまでも社会復帰へのリハビリ。それでも、「これはママがやったんだよ」という目に見えたものがあることに意味があると思っています。 ママたちはとにかく責任感も強く、仕事が丁寧です。お願いした以上のものが返ってきます。 もちろん全ての人にそれを求める訳ではないですが、自主的に業務改善され、システムがハイテク化され… 代表である自分が付いて行けずに、驚かされます。 ― 苦労したことはありますか? 実際、働きたいママは多かったですが、設立当初は仕事をやらせて賃金が支払われない。教材を買わせて雲隠れ。そんな“在宅ワークの詐欺”が横行していた時代で、不安視するママも少なくはありませんでした。 今やっていることがどれだけ世の中に必要とされているのか、このやり方は間違っていないか。 第三者に評価してもらいたいと思うようになりました。 そこで『大田区ビジネスプランコンテスト』に応募することを決めました。 ありがたいことに事業の内容が認められ、“最優秀賞”を受賞することができました。 それまでも幾度となく力を貸してくれた、主人とお義母さんからも『全力で応援する』と心強い言葉をもらいました。 きっかけはどこにでもある […]

未来に繋ぐ弁当屋@山﨑大作さん(山六給食株式会社)

配達・営業を経験し、仕出し弁当部責任者となりメニュー開発から発注までマルチにこなす山﨑さん。 そんな山﨑さんの仕事と深川先生との関わりを聴いてみました。 山﨑大作さん 山六給食株式会社常務取締役 大田区出身 昭和39年創業の事業を両親から引継ぎ、兄弟で会社を支える。 仕出し事業部・学校給食部・企業食堂委託と事業を展開 会社ではなく、お客様に認められたい ― 両親の仕事を継ぎたいと思っていましたか? 毎日、夜中3時からお弁当の仕込みを始め、帰ってくるのは19時過ぎ。 自分たちが寝静まってから給料計算が始まり、喧嘩する両親を見ていたので、継ぐ気はありませんでした。 長時間労働に休みなし、どこかに連れて行ってもらった記憶もなく、両親の仕事に対してあまりいい印象は持っていませんでした。 だからと言って、他にやりたいことがある訳でもなく、高校もすぐに辞めてしまいました。 丁度その頃、父が倒れ、「ふらふらしているなら」と仕事を手伝ようになりました。 最初はパート扱いで、早朝から3時間程度働いていました。そのときも、継ぐ気はなくお手伝い感覚でいました。 ― 継ぐことを決意したきっかけは何ですか? 18歳で免許を取得し配達を任されるようになりました。 その頃は、学歴がないという劣等感から、誰からも対等には扱ってもらえないと考えていました。 でも、最初に任されたお客様は、本当に優しい方で学歴や見た目で判断せずに自分自身を見てくれました。 対等に話してくれる人がいる。頑張れば認めてくれる人がいる。 その出会いが自分を大きく変え、仕事に充実感を与えました。 それが仕事を本格的に継ごうと思ったきっかけです。 ― 苦労したことはありますか? 配達を続け、1年後には営業も任されるようになりました。 社会人としての経験がなく、多くの失敗もありました。 営業先で理不尽にお弁当を投げつけられたり、理由も分からず罵倒され悩むこともありました。 そんなときでも、自分に力を貸してくれたのがお客様でした。 服装・名刺の渡し方・謝罪文の書き方など、社会人として必要なことも教えてもらいました。 仕事に人生を捧げる人との出会い ― 深川先生の印象を教えてください 深川先生に会ったのは、議員になるよりも前の秘書時代。 お互いにまだ若く、今こんな関わりを持つとは思ってもみませんでした。 親の付き合いで、多くの議員さんと会ってきましたが、深川先生と関わることで議員さんのイメージはガラリと変わりました。 頭が良く物知りだけど、何事にも親身になってくれ、親近感があり、身近な存在。 今でも六法を勉強していたり、働きすぎなんじゃないかと心配になるほど努力している。 ここまで誰かのために、人生を捧げている人は見たことがなかったです。 深川先生との出会いも、自分にとてもいい刺激を与えてくれました。 目指すは日本一地球に優しいお弁当屋さん ― 今後の課題はなんですか? 食材・味はもちろん、使うもの全てにこだわりを持ち、 『人に感謝される仕事』それが“環境に優しくない仕事”と言われないよう、 子どもたちに胸を張っていられる仕事をしたいと思うようになりました。 入社当初は、お弁当の容器を回収し一つ一つ洗浄していましたが、使い捨て容器に変更。 水の使用量を30%削減しました。 でも、現在のお弁当容器は、プラスチックが主流のため、もっと環境に優しい素材のものはないか探し始めました。 そこで目を付けたのが、日本で唯一自給自足が可能な資材『石灰石』で紙を作る企業です。 プラスチックと違い、燃やすことができるため、CO2が20%削減できます。 まだお弁当容器としての製造はされておらず、実用化に向け、ゼロからのスタートとなりました。 新たなお弁当容器を開発・製造してもらおうにも企業には何度も断られました。 最終的には熱意で何とか認めてもらい、試作段階ですが形にすることができました。 […]

想像をカタチにする@三宅創太さん(合同会社ツクル)

未来志向の企画支援を事業とする三宅創太さんをインタビュー。 大手コンサル会社で10年間経験を積み、プロジェクトを引き継ぐ形で会社を設立。 そんな三宅さんの様々な取り組みと深川先生との関わりについて聴いてみました。 三宅創太さん 合同会社ツクル代表 福岡県出身 大手コンサル会社で経験を積み、2014年3月合同会社ツクルを設立。 地方創生や地域復興事業などみんながHappyになれる世の中を目指す。 合同会社ツクル・代表の他、一般社団法人創生する未来の理事などを務める。 まずは家族の幸せから ― 今の仕事を始めたきっかけはなんですか? 前の会社は、入社から3年で独立し、「実際に経営者となり経営者の苦しみを分かった経営コンサルタントを目指す」というのが会社の方針でした。 私は、入社3年目に子供が産まれたこともあり、独立のタイミングではないと判断し、最終的には10年という歳月を過ごすことになりました。 5年目を迎える頃、独立へのモチベーションも下がり、現状に満足し仕事を続けていました。 会社としてみっちりと育て上げられた私は、7年目でやっと独立を決心するも、もう少し育ててやると大きなプロジェクトを任され、そこから辞めるまでの2年間は、IoTの先駆けとなるプロジェクトを遂行するため名古屋で仕事をしました。 2年でプロジェクトが打ち切りとなり、その中で進めていた事業を継続したいと想いを伝えると、会社設立時に自ら手掛けた事業は譲渡すると言ってくれ、合同会社ツクルを立ち上げることができました。 独立後すぐは名古屋と東京を行き来する日々が続きました。 ― 会社設立時にこだわったところはありますか? 大手コンサル会社での仕事は、家族にも業務内容を言ってはならない就業規則があり、どんなに忙しくても年間100日以上の出張に行こうとも、何をやっているのか話ができませんでした。 その頃、妻自身も子育てに追われ、話ができない状況は、お互いの気持ちの余裕を奪っていました。 そこで会社設立の際は妻には共同経営者になってもらい、業務の報告義務を持たせました。 今日は誰と会う、どんな仕事をしている。役員である妻には全てを伝えます。 今はその時間を大切にしています。 深川先生との出会い ― 出会いのきっかけはなんですか? 会社設立から2年ほどかけ、名古屋での仕事を縮小し、東京・大田区へ拠点を移していきました。 結婚を期に大田区での生活を始めたため、大田区に拠点を移すにも全て手探り状態でした。 そんな中で自分の使い方にあったコワーキングスペースを見つけ、拠点にしたのがすべてのきっかけになりました。 東京・特に大田区で出来そうな事業を具体化する中で、同じコワーキングスペースを利用するメンバーから、 大田区をよく知る人を紹介してもらいその繋がりで深川先生に出会いました。 ― 深川先生の印象を教えてください 深川先生は地元を熟知し、経営に関する知識も持ち合わせ、事業の具体的な話が出来る人でした。 出会ったばかりの私の話も熱心に聞いてくれ、様々な道を作ってくれました。 今でも、その豊富な知識と人脈に助けられています。 より多くの花を咲かせたい ― 仕事をする中で目指すことはなんですか? 誰しもが熱い想いを秘めていて、それに気付けずにいる人、頭で理解していても実行に移せない人、やり方が分からない人。 多くの想いがある分、多くの悩みも生まれます。 それをカタチにするために、最善の道へ誘導してあげること。 そして事業の付加価値化を実現し、さらには専門家による支援体制の構築により基盤を固める。 それが複合的な価値を見出し、産学金官の連携モデルとなる持続可能な事業となります。 それが私の目指すHappyな事業のカタチです。 ― 心がけていることはありますか? 事業を『植物』に見立てたとき、4つの要素が必要になります。 【土】事業を創造しカタチにできる環境 【種】経営・企画・運営能力や行動力を持ったリーダー 【光】同じ志を持つメンバーが揃う人材ネットワーク 【水】軍資金 現在までに、【土】【種】【光】この3つは蓄えに余裕が持てるようになりました。 これからは清らかな【水】をどれだけ蓄えられるか。それがミッションだと思ってます。 ここ、『場笑―BaShow-』もその要素の1つです。 仲間からの声掛けで、私を含めた4人が集まって立ち上げた場所です。 共同オフィスといっても、20名程度のワークショップなどが開催できるスペースを残し、週に2~3回は様々なプロジェクトが動き、より多くの人材が集まる“場笑”になっています。 私自身、今後も大田区を起点に、常駐のオフィスは持たずに全国を走り続けたいと思います。 […]

大田区に愛されるビール造り/大屋幸子さん(羽田バル)

飲食店を開くことを目標に働く中で、地元で活躍する多くの経営者と関わり刺激を受ける。 その中の一人との出会いがきっかけで念願の飲食店をオープンすることができた大屋幸子さんをインタビュー。 ビール造り・販売を通し、新たな取り組みを見出し事業を展開する大屋さん。 そんな大屋さんと深川先生の関わりについて聴いてみました。 大屋幸子さん 羽田バル・店長 東京出身 高校を卒業後すぐに大手企業に就職。学費・家賃の援助が受けられず、がむしゃらに働いていた学生時代の給料の差に愕然とし転職。 保険会社の営業として町工場を巡る日々。そのときの出会いがきっかけとなり、2017年6月、羽田バルをオープン クラフトビール工場・工場長との出会い ― 羽田バル、オープンの経緯を教えてください 『羽田バル』はすでにお店が出来ている状態だったんです。 まずその辺の経緯からお話すると、保険会社に勤めていた時、お客様が「大田区でクラフトビール工場を建てた」という話を聞きました。 工場長は、元々『大田区は特産品が少なく、観光地へ移動するための通過点になっている』と感じており、地方創生・都市創生を軸に、地域復興のため工場を建てたそうです。 クラフトビールは、外国の方が好きだということで目をつけ、『羽田ビール』を作りました。 ふるさと納税など、何かアイテムになるのがテーマの一つということは、私にとってもすごく魅力のあるものでした。 お話を聞いているときは、将来自分でお店を持ったときに『羽田ビール』を扱いたいな。ぐらいに考えていたました。 それからしばらくして、ビール造りを一緒にやっていた人が居なくなったということを聞き、「私がやりましょうか?」と飛び込み今に至ります。 すでにお店の場所も決まっており、約7割の内装工事も終了している状態で、お店を任されることになりました。 その状態では何も手を付けられず、そこから約2か月で強行オープンしたのが『羽田バル』です。 ― お店をオープンして一番苦労したことはなんですか? お店をオープンして半年は、PRや接客など全て一人でやっていました。 それはもう必死に働きましたが、一人で抱え込んでいる間は上手くいくことはありませんでした。 そんなとき、以前の同僚が厨房スタッフとして手伝ってくれることになり、やっとお店がまわるようになりました。 今では、商材選びからメニュー開発、全てを任せており、私は大好きなビールに愛を注ぐことができています。 ― お店が落ち着いて、最初に取り掛かったことはなんですか いざビールを広く周知・販売しようと営業をかけ始めたとき、 クラフトビール工場で働く従業員からの文句が多くなり、仕事をサボる人まででる始末。 実際、工場での仕事は単調で、ひたすら同じ動作のため、私にとってはとても長い時間できるものではありませんでした。 ですが、仕事として請け負っている以上、責任を持ってこなしてもらう必要がありました。 そんなやる気の低さに頭を抱えているとき、障害者が働く姿を目にし、「こういう方々と仕事をしたい!」クラフトビール工場で働いてもらえないかと考えるようになりました。 障害者の働く拠点を作りたい 飲食業の魅力は『ありがとう』が直接聞けることだと思っています。 だからこそ、工場の中でビールを作るだけでなく、そのビールを飲んで喜んでいる姿、笑っている姿を見てもらい、自分が働くことの役割を感じてもらうことを目標に拠点作りを目指しました。 まずは、知ることが一番だと思い、いくつかの施設を見学させてもいました。 みんなとても心がピュアで、仕事を全うしているのがとても印象的で、より一層、想いが強くなりました。 ― どんな働きかけをしたんですか? そのとき出会ったのが、地域連携コーディネーターとして活躍する櫻井さん(※インタビュー記事はこちら)です。 頭の中で思い描くものを、カタチにするため多くの手助けをしてもらいました。 大田区役所の中にある、“バルコスモ”が想像をカタチにした一号店です。 お店の中で障害を持った方に、瓶詰やラベル貼りをやってもらい、実際に簡単な接客もお願いしています。 でもまだまだ、入口です。これからは、障害を持った方が働ける拠点をもっと作りたいです。 今ある工場は、障害を持った方の雇用を考えて建てていないため、 もっと働きやすい環境を整えた工場、そして飲食店をここ大田区でと考えています。 最終的な目標としては、“羽田空港”で工場と飲食店が一つになったお店をオープンすることです。 道しるべとなる存在 ― 深川先生に会ったきっかけはなんですか? 深川先生と初めてお会いしたのは、櫻井さんにご紹介してもらったのがきっかけです。 子育てをする中で、地域のボランティア活動などを通し、議員さんとの関わりがあったため、 深川先生に対しても抵抗感がなく会うのがとても楽しみでした。 ― どんな仕事をしていますか? 池上梅園など大田区の名所で酵母を採取できないか、許可取りに動きましたが、難色を示され上手く話が進みませんでした。 そこで道を作ってくれたのが、深川先生です。 お会いしたときに、羽田ビールや今後の展望をお話すると、「これはこうするといい。」「これはここに行くべき。」など、知識や人脈の多さに驚かされるばかりでした。 […]

人の繋がりを大切に@本田啓夫さん(株式会社クオーレ)

遺品整理という仕事に出会い、人の人生に関わる素晴らしさや感謝される喜びに触れたという本田啓夫さんをインタビュー。 遺品整理は行政との連携が必要不可欠ということもあり、深川先生のいる大田区へ。 今後の展望と深川先生との関わりについて聴いてみました。 本田啓夫さん 株式会社クオーレ・専務取締役 神奈川県横浜市出身 高校生で格闘技のプロを目指し、日々練習に明け暮れる。高校を卒業し、鍛えた肉体を活かし引っ越し業者に入社。 練習と仕事を両立するも、夢半ばに目標を失い仕事にも身が入らない時、ある人の熱い想いに触れ、平成24年株式会社クオーレに入社。 きっかけは2人との出会い ― 今の仕事を始める前は何をしていましたか? 学生時代、“プライド”が全盛期で自分もそのリングに上がることを夢見てました。 でもプライドが潰れて、リングに上がる夢が消えたとき「何してんだろ。」って自分がよく分からなくなりました。 それでも格闘技が好きだったので、パーソナルトレーナーを目指してジムで働き始めたけど、理想と現実の壁にぶち当たり断念。 それからは鍛えた身体を活かせると思って、引っ越し業者で働いていました。 ― 今の会社に入社したきっかけはなんですか? 引っ越し業者での現場仕事にも疲れ、特に夢もなく何となく過ごす中で、今の会社から引き抜きの話が来ました。 当時勤めていた引っ越し業者は、繁忙期になるとランキング制となり、そこで1位を獲っていたので即戦力として期待されてたんだと思います。 でも現場が嫌でずっとお断りしていました。それでも粘り強く声をかけてくれるので、お試しでアルバイトとして入社しました。 ― アルバイトから正社員になるきっかけが何かあったんですか? 入社当初は、一人で黙々と仕事をこなす、『一匹狼タイプ』で特に誰かと楽しさを共有することはありませんでした。 そんなとき、社長と副社長からご飯に誘われご一緒しました。 二人は、自分にとても熱く仕事への想いを語ってくれました。 その想いに触れ、共感し、二人と仕事をしたい。きっと面白くなる。そう感じました。 それがきっかけで正社員になり、横浜支店の支店長を経て役員となりました。 深川先生と出会い大田区に ― 深川先生との出会いはどこですか? 大田区で活動している男子バスケットボールチーム・アースフレンズZさんのスポンサーをしており、その経緯で深川先生を紹介してもらいました。 紹介されたとき、議員さんは年配だろう。という勝手なイメージを持っていました。 なのでお会いしたときは、“若い”というのが第一印象。でも物腰が柔らかく気さくで話しやすい方なので、議員さんのイメージはガラリと変わりました。 ― お仕事での関わりはありますか? 遺品整理などにおいて、行政の協力は必要不可欠です。 今、深川先生には行政との連携における橋渡しをしていただいているところです。 大田区は元々相談依頼も多く、我々のサービスを必要としている方が多いと感じます。 今後、深川先生の力も借り、大田区に根付いた、皆さんが求めるサービスを提供したいと考えています。 ― それで大田区に事務所を構えることに? 深川先生が居るので、ここ大田区に支社を持つことになりました。 最初は蒲田周辺で探していたのですが、条件の合うところと出会えず大森まで範囲を広げました。 大森で紹介された場所が、上の階に以前インタビューを受けていた菱田司法書士事務所さん(※インタビュー記事はこちら)ということもあり即決しました。 大田区から発信する 入社当初は不用品回収がメインでしたが、遺品整理の需要が増えつつあったことから、関東での事業展開を弊社で請け負うことになりました。 『遺品整理』は偏ったイメージを持たれがちですが、涙ながらに感謝される素敵な仕事です。 もちろん生活されていたそのままの状態なので、食べかけのものがあったりと最初は衝撃を受けることもありました。 だからこそ中途半端なことは許されないし、しっかり考えながらやらなければならないと思いました。 ― 働いて感じる会社の魅力を教えてください 仕事をする中で感じるのは、必要な情報を知らない方が多いことです。 家族が亡くなったとき、悲しんでいる暇もないくらいやることがたくさんあります。 会社の魅力は、お客様の声から生まれた、『ワンストップサービス』。 遺品整理から不動産売却、各種事務手続きまで全てを自社で請け負います。 […]

身近な存在でありたい/菱田陽介さん(菱田司法書士事務所)

初代・2代・3代と続く、80年以上の歴史を持つ菱田司法書士事務所の4代目を務める菱田陽介さんをインタビュー。 3代目であるお父様を交えて、司法書士の仕事や深川先生との関わりを聴いてみました。 菱田陽介さん 菱田司法書士事務所・4代目 司法書士 大田区出身 明治大学法学部卒業 3代目の父・菱田徳太郎さんと共に司法書士として活躍。 父と同じ司法書士を目指して ― ずっと司法書士を目指していましたか? 大学で法学部に入りましたが、その時点では“なりたい自分”は見つけられていませんでした。 ただ、スペシャリストとしてのキャリアを積みたい。そんな思いだけ持っていました。 ― 4代目を受け継いだきっかけはなんですか? 父から『継いでくれ』と言われたことないですが、残してもらったものは継いでいきたい。 今後も事業を継続したいと思ったのがきっかけです。 そこから、司法書士になるため法律の勉強を始め資格を取得しました。 ― 司法書士となって最初にしたことはなんですか? 司法書士といっても、人それぞれスタイルも異なり、事務所により様々な色があります。 その事務所に囚われることなく、いろいろな所で勉強し自分のやり方を見つけてほしいという父の教えもあり、短い期間ではありますが、大学の先輩がいる司法書士事務所にお世話になり、そこでは、事務的なことを学びました。 時代と共に変化する 司法書士の基本は“法律”です。 同じ相談でも、法律など様々な変化に対応していかなくてはなりません。 お客様が求めるもの、ニーズの変化にも対応する必要があります。 父は、実務家でもあり司法書士制度の研究家でもあります。 そんな父の影響もあり、司法書士になった今も、勉強の毎日です。 ― 大変なお仕事ですね。 やる気の根っこにあるのは“人助け”という気持ち。 自分の得意な分野を見つけ、そこで人の役に立てるとこはとても面白いです。 『自分の得意な分野で人の役に立つ』という感覚は多くの人に持ってもらいたいです。 身近な相談相手 弁護士と違い、司法書士・行政書士・税理士などは職域が決められています。 時代と共に出来ることも広がりをみせ、今では裁判や成年後見人などもできるようになりました。 だからこそ、いま以上に身近な存在となりたい。これまでお世話になってきた大田区の方々に信頼できる司法サービスを受けてほしいと思っています。 ― いつでも相談を受けているんですか? ご相談は、電話・ホームページから受付ています。 ですが、信頼関係の上で成り立つ仕事だと思っていますので、皆さんと直接会ってお話をしています。 事務所に来られない、出歩くことの難しい高齢の方など、要望があればお伺いもしています。 ― どんな相談が多いですか? 空き家問題は深刻で、取り壊しを考えたときに相談を受け調べることがよくあります。 名義人が明治時代の方で、権利が細分化され、何十人という方が権利を持っている。 なんてことが年に数回あります。相続問題は早く手を打つことが大切ですね。 ― やはり地元の方の相談が多いですか? 菱田司法書士事務所は、初代が大井町に創設したのが始まりです。 戦後、大森に事務所を移してから、2・3度引っ越し、平成12年に今の場所に移転しました。 駅も近く、古くからの知り合いも多くいるので、地元に根差した仕事ができていると感じます。 今でも初代からのお客様もご連絡をくれたりするのはとても嬉しいです。 深川先生との出会い ― 初めて会った時の印象は? […]

大田区の強い味方/稲葉治久さん(稲葉セントラル法律事務所)

大学進学を機に上京、20代のほとんどを海外で過ごしボランティア活動をする中で、弁護士の道を目指した稲葉治久さんをインタビュー。 法律相談の中には、行政の力が必要となることもあり、深川先生に相談するという稲葉さん。 そんな稲葉さんの活動と深川先生の関わりについて聴いてみました。 稲葉治久さん 稲葉セントラル法律事務所・弁護士 茨城県出身 法学部政治学科を卒業。青年海外協力隊としてアフリカ・ジンバブエでボランティア活動をする。 その後、弁護士を目指し法科大学院を卒業。都内大手法律事務所に勤務し、平成28年7月、稲葉セントラル法律事務所を開設。 人の役に立つ仕事ってなんだろう ―いつ弁護士を目指したんですか? 国際機関で働きたいと思い、大学は法学部政治学科を専攻しました。 弁護士というのは頭になく、発展途上国など世界中を回って仕事をしたいと考えていました。 そんなとき、青年海外協力隊員としてアフリカ・ジンバブエに行けることになりました。 現地に行って一番に感じたことは、医者や弁護士などの専門職がないと何もしてあげられないということ。 そこで法律の勉強をしようと思い立ち、弁護士を目指しました。 ―それから勉強を初めて事務所を開設されたんですね 法律の勉強をするため、大学院に通いました。 弁護士資格を取って4年間は大手法律事務所で勤務しました。 そこでノウハウを身につけ、独立することを決めました。 青年海外協力隊の経験を活かし、市場調査や現地調査・現地との連携などを通した、中小企業の未開拓地域進出をサポートしたいと思っています。 ―大田区に事務所を開設した理由はありますか? 大田区に住み始めたのは27歳の頃です。 最初は家賃が安かったから。それだけの理由でした。 ですが住んでみてとても住み心地がよく、それ以来ずっと住み続けています。 事務所探しで一番に考えたのは通勤でした。 毎日満員電車に乗るのは避けたかったので、ここ大田区に事務所を開設しました。 多くの人にとって心強い味方になりたい 法律事務所は敷居が高いイメージもあるので、気軽に来てもらえたら嬉しいです。 問題が大きくなる前に、解決できることはたくさんあるので、早めに相談してほしいと思っています。 ―どんな法律相談を受けていますか? 専門は民事ですが、町弁なのでオールマイティにやっています。 相談は、直接会ってお話をするのが一番だと思っていますので、 お仕事が忙しくて平日が難しいということであれば、土日でも事務所を開けています。 高齢化が進み、財産や空き家など問題は山積みです。 こういった問題は、生前の意識がきちんとあるうちに手を打つことで解決することが多いです。 残される家族のためにも、『法律は難しい・わからない』とほっとくのではなく、相談に来てもらいたいです。 もっと身近に感じ、考えてほしいと思い、セミナーの講師なども引き受けています。 来月は要望をいただき、デイケア施設で、相続・資産活用など老後の備えについて講義を行います。 ―地域のために何かできることはありますか? 事務所が空いているときは地域の『拠所(ヨリドコロ)』にしたいと考えています。 今、母子家庭や収入の少ない家庭など、様々な事情を持ちながら悩みを抱えている方は多いと思います。 働かなければならない、塾に行かせるお金がない。家庭により状況は様々です。 そういった子供たちを集めて、塾のようなものをやろうと思います。 学生のボランティアや私自身が教えていきます。 もちろん勉強に限らず折り紙などやってもいいと考えています。 お迎えのときに、お母さんたちのお悩み解決もしたいですね。 助成制度など、教えられることはたくさんあります。 深川先生は裏表がない ―深川先生との出会いはどこですか? 初めてお会いしたのは地元の勉強会です。 政治家さんとは思えない物腰の柔らかな方というのが最初の印象です。 区の政策など、新聞では読み切れないことも多いですが、 深川先生を見ているとリアルタイムに動きを感じ取ることができます。 それが大田区の中小企業へのいいアドバイス材料となり、とても喜ばれます。 ―お仕事での関わりはありますか? […]

子供が誇れる街づくりを目指して/竹下のぞみさん(デザイナー)

地元静岡を離れ、大田区で起業。出産・育児を経験し、 我が子が誇れる街づくりに奮闘する働くママ竹下のぞみさんをインタビュー。 地域で活動するときには深川先生が道しるべ的な存在だという竹下さんに、 深川先生との関わりと取り組みを聴いてみました。 竹下のぞみさん デザイン業をしながら池上地区商店会連合会事務局を担当。 静岡県静岡市出身 大手出版関連会社の企画営業職を経験し、2年間の下積みを経てデザイン事務所を設立。 深川先生に会って政治家のイメージが変わった ― 深川先生との出会いを教えてください 深川先生が初めて選挙に当選してすぐの頃、同じ起業家を通して食事をする機会がありました。 “議員さんが来る”ということで、とても緊張していましたが、 深川先生は年齢も近く、話がとてもお上手なので楽しく過ごすことができました。 ― 応援しようと思ったきっかけは何かありますか? 4年前、割れている点字ブロックにつまづき、とても危ないと感じ、相談したことがありました。 深川先生は、すぐ役所に繋いでくれ、あっという間に整備されました。 他にも保育園を運営している方から、お遊戯会や運動会の会場探しが大変だという話を聞きました。 今までは、各園が直接近くの小学校や中学校に連絡を取り調整。グラウンドに空きがなく開催できないこともあったそうです。 そんな話を深川先生にすると、すぐに議会で取り上げてくれました。 今では、区で連携を取り会場探しができるようにラインづくりがされています。 深川先生と知り合って8年近くなりますが、私服姿を見ることがほとんどありません。 いつ会っても、深川先生は地域のために働いている。だから商店街や消防団、お祭りなどのユニホーム姿が多いんです。 そんな深川先生を応援したくなりました。 ― その後の関わりを教えてください 若い頃は政治にあまり興味がありませんでした。 地域活動を通じて、深川先生と知り合い区議会議員の役割や仕事を近くで見させていただきました。 大田区の発展のために汗を流している姿を見て、少しでも力になれればと考えています。 デザイン会社から次のステップへ ― デザインに興味を持ったのはいつですか? 小学生の頃から、ものづくりが好きで、特に雑誌の付録を組み立てるのが好きでした。 『人が求めているものを理解してカタチにする』 それが私のやりたいことだと思ったんです。 ― デザイン事務所を起業したのはなぜですか? 会社員は、一人一人に割り振りがあって、決まった業務をこなすことがほとんどです。 Webデザイン会社に転職して2年、クライアントから指名をもらえるようになり、起業を考えました。 ありがたいことに、当時勤めていた会社が辞めたあともお客さんとの仕事を続けて良いと後押ししてくれ実現できました。 デザイン業の枠を越えて ― 起業してまず何を感じましたか? デザインの仕事はデスクワークがほとんど。 職住近接の環境に身を置いたことで、『もっと外に出たい』と思うようになりました。 そのとき、地域活性化に取り組む人の 『一緒に池上を盛り上げてくれる人募集!』 というTwitter上の言葉が目にとまり、ボランティアとして池上本門寺朝市に参加しました。 朝市や商店街イベント運営のスタッフは若手が少なく、深川先生のお声がけもあり、池上地区商店会連合会事務局になることにしました。 『池上に越してきて8年、家族を持って子供が産まれ、子供にとっての地元を、もっと住みやすく、元気にしたい!』 そんな思いが強くなり、デザインの仕事だけでなく地域イベントの企画運営までを手掛けるようになりました。 ― 実際に企画されたイベントを教えてください まず何ができるか考えたときに、『池上ちょい呑みフェスティバル』を企画しました。 深川先生も企画運営がスムーズに進むよう、未熟な部分をフォローしてくださいました。 今まで経験することのなかった、企画から運営。当日の段取りまで。 大変なことも多いですが、人との出会いや繋がりはとてもかけがえのないものです。 子供をもって感じる地元の存在 ― お子さんが産まれて環境が激変したのでは? 仕事が好きだったので、出産して3ヶ月で職場復帰しました。 会社のスタッフたちが歓迎してくれ、最初の1年は、子供と一緒に出勤しました。 […]

スポーツで大田区を元気に/櫻井政人さん(羽田ビーチクラブ)

地方市町村と首都圏(主に大田区)を中心に地域連携コーディネーターとして活躍。 地域活性化の一環としてビーチクラブの事務局長を務める櫻井政人さんをインタビュー。 深川先生が駆け出しの秘書として地域回りをし始めたときから知る櫻井さん。 そんな櫻井さんの取り組みや深川先生の印象を聴いてみました。 櫻井政人さん 羽田ビーチクラブ(団体:ビーチクラブ全国ネットワーク)の事務局長 (2008年4月~) 大田区生まれの大田区育ち。 サラリーマンを経て、30歳で経営者となる。海運会社の社長を基盤としながら環境系ベンチャー企業、開発モノづくり系企業などを設立。 その後、経営経験を活かして、主に中小企業・町工場を中心とした経営コンサルタントを本格的に開始する。広く持っている人脈を活用したビジネスマッチング(特に販路開拓)を得意とする。その他、地方の市町村と首都圏(特に大田区)との連携による地域活性化・地方創生を進める「地域連携コーディネーター」として活動も行っている。 羽田ビーチクラブ ― 羽田ビーチクラブについて教えてください! ビーチクラブ全国ネットワークが十年以上前に湘南でスタートして、東京にも拠点を置こうということから、大田区でやることが決まりました。 当初は大森ふるさとの浜辺公園もなくて、羽田の漁師さんのところから船に乗って、羽田空港の浅瀬に上陸してました。 そんな始まりから羽田ビーチクラブと名前が付きました。 ― スタッフの方がたくさんいらっしゃるんですね スタッフは全員、ボランティア。活動を始めた頃から、ほぼ変わらずに手伝ってくれています。 サラリーマン、事業主、商店など職業は様々で、みんなのおかげで成り立っています。 ― 今は大森ふるさとの浜辺公園で活動されているんですか? 活動を続けているときに、大森ふるさとの浜辺公園ができて、羽田ビーチクラブはここを拠点にすることになりました。 毎月第3日曜日の午前中は、雨以外必ず開催しています。定例で続けてきたのは、羽田ビーチクラブくらいなんです。 羽田ビーチクラブの活動をご紹介 シャボン玉 特製の道具としゃぼん液で大きくて丈夫なシャボン玉が簡単にできます。 自分の身体よりも大きなシャボン玉を追いかける子供たち!見ているだけでとっても楽しくなりました。 サップヨガ 大人は、1人で乗って漕げるそうです。明るい先生方が教えてくれて、初心者も大歓迎! 子供も体験させてくれます。 ボート 救命胴衣を着て、最初は緊張気味の子供も、海の上を楽しんでいました。 誰でも乗せてくれます。 東京湾体験クルージング 1人500円で小さい子供でも大人と一緒に乗船できます。 羽田空港近くまで船で行き、飛行機のお腹をすぐ下から見上げる体験が出来ます。 ビーチサンダル飛ばし ルールは簡単で、用意されたビーチサンダルを遠くまで飛ばした人が勝ち! 未就学児の部、小学生の部、女性の部などなど、その時々の集まる人によって部が変わります。 1~3位までが表彰。景品が用意されていることもあるとか! 行政と連携することでもっと良くなる ― いつ来ても賑わってますね 今までは、公園の認知度も低くて、利用者も少なく閑散としてました。 でも、PRを続けて人も増えて、賑わいを見せるようになりました。 ビーチしかなく遊びが限られていたが、売店ができ、昨年には新スポーツゾーンもオープン。 テニスや多目的広場など、一般の人もスポーツが楽しめるようになったのがとても大きいと感じます。 新スポーツゾーンの設置にも携わり、そのときには、深川先生にも色々相談させてもらいました。 ― 深川先生が議員になる前からお知り合いなんですね その頃は、議員秘書といち起業家。 今、こうして立場が変われど、交流を続けていけるなんて全く想像できませんでした。 ― そのときの印象はどんな感じでした? 人の話をじっくり聞く。 今でも偉いと思うのは、得意不得意は別として、自分でもやってみること。 ビーチサッカーやテニス、いろんなことに参加して、みんなと同じ立場に立ってくれます。 実際に体験して、現場の声を聞いて考えてくれる。 そこが深川先生の魅力でもあります。 大田区をスポーツで健康に […]

大田区を広告のチカラで元気に!/内田翔大さん(株式会社ワンバイワンステイション)

内田さん(左)とお父様(右) 地元に貢献できることが一番のやりがい 大田区蒲田に支社を構える株式会社ワンバイワンステイション代表取締役の内田さんをインタビュー。 「大田区を広告のチカラで元気に」というコンセプトを掲げ、地元の活性化のために奔走する内田さんと深川先生の関わりを聴いてみました。 (文・一部写真:ワタナベミノリ) 内田翔大さん 広告デザイン会社「株式会社ワンバイワンステイション」代表取締役。(2016年~) 1991年生まれ。大田区蒲田出身。宮の橋通り商店会所属。 父親のデザイン会社に参画したのが始まり ― 27歳という若さで会社の社長とはすごいですね もともとは、1983年に父親が青山で始めたデザイン事務所なんです。父親の仕事を間近で見ていておもしろそうだなと思い、2年前から一緒に仕事を始めました。また、地元でも仕事の幅を広げようということで、地域密着の事業部として「KOSHIKI事業部」を蒲田に設立しました。 ― 大田区ではどのようにして仕事を見つけたのですか? 大田区での案件を探すときにお世話になったのが、京急蒲田駅近くにあるビジネスサロン「biz BEACH CoWorking」です。フロアスタッフの方に仕事や人脈の紹介をしていただいたことで、事業の目途が立つようになりました。 企画からデザイン制作まで幅広く手掛ける ― 内田さんの仕事を教えてください 普段は企画や制作ディレクション、営業を中心に担当しています。会社としては、ロゴマークの制作から名刺、チラシ、ポスター、WEB制作といった様々な広告媒体の企画制作を行っています。父親の代から30年以上に渡り、青山や恵比寿で築いてきた実績を最大限に生かして、来るもの拒まずで仕事を受けています(笑)。 制作事例としては、池上地区商店街連合会のホームページのリニューアルや、アースフレンズ東京Zの元選手KAZさんの横断幕の制作、区内銭湯の外国人観光客向けパンフレットのデザイン制作などです。銭湯の案内パンフレットは、「商店街次世代リーダー育成塾」への参加がきっかけでつくりました。 ― 深川先生とは仕事上どのような関わりがあるのですか? 深川先生とは、区内のビジネス交流会でお会いしたのがきっかけで、広告デザインに関する地元の仕事を継続的に紹介してもらっています。例えば、池上地区商店会連合会のホームページのリニューアル案件や、ボーイスカウトのキャップのロゴ制作などです。 また、制作したパンフレットの配布先に困っていたときには、観光課にスピーディに打診していただき、1000部を区内のビジネスホテルや観光案内所に配布することができました。配布した翌月には、海外の観光客が30人も訪れ、やりがいを感じました。 大田区の仕事が9割、信頼と実績が次の仕事に繋がる ― 仕事のやりがいを教えてください 現在は大田区の仕事が9割です。仕事をしていくうちに、地元への愛着が芽生えてきて、この街で事業を成功させたいと思うようになりました。これまで関わってきた仕事は全て楽しく、自分の制作物が街の風景の一部になっているのを見ると心底嬉しいです。 ひとつの仕事で成果を出すと信頼され、また新たな仕事を紹介してもらうことができ、地元でビジネスをする面白さは、その相乗効果が目に見えて分かりやすいことかなと思います。 地域のハブとなる広告代理店をつくりたい ― 内田さんの抱負を教えてください ゆくゆくは、地元である大田区に地域のハブとなる広告代理店をつくりたいと思っています。会社としては、まだまだ前途多難ではありますが、深川先生をはじめ先輩方に助けていただきながら、一歩ずつ夢に近づいていきたいです。これからは、社員も雇い事業規模を広げ、大田区がさらに魅力的な街となるよう広く発信していけたらと思います。 私はまだ若いので信用には結び付きにくいですが、若いからこそのフットワークの軽さやスピード感を持って仕事に取り組んでいきたいです。 深川先生は親分肌で面倒見がいい人 ― 最後に、内田さんにとって深川先生はどんな人ですか? 深川先生は、幅広い知見を持って実践していく人なので、一緒にお仕事をさせていただいて学ぶことが多いです。また、親分肌で面倒見がいい人です。私の思いに共感して応援してくださっているので、仕事を通して恩返しができたらなと思っています。 ― ありがとうございました! biz BEACH CoWorking  内田さんが大田区で仕事の幅を広げるきっかけとなったコワーキングスペースです。 ビジネスセミナーも定期的に開催しています。 営業時間 平日  09:00~21:00 土日祝 09:00~17:00 所在地 〒144-0035 東京都大田区南蒲田1-20-20 大田区産業プラザPiO 2F お問い合わせ 03-6428-7688 ホームページ URL  

チームと地元の架け橋になることを目指して/五十嵐大悟さん(アースフレンズ東京Z)

深川先生は”頼りになる先輩”のような存在 大田区を中心に城南エリアで活動する男子プロバスケットボールチーム「アースフレンズ東京Z」で、営業と地域連携を担当する五十嵐大悟さんをインタビュー。 チームと行政の連携を図るときには深川先生にお世話になっているというので、五十嵐さんの取り組みや深川先生との関わりを聴いてみました。 (文・一部写真:ワタナベミノリ) 五十嵐大悟さん アースフレンズ東京Z(運営:株式会社GWC)の営業および地域連携担当。(2016年12月~) 大田区蒲田出身。 メーカーの営業を10年以上経験し現職に。自身はバレーボールのプレーヤーで、現在も社会人チームのアタッカーとして活躍。 深川先生に初めて出会ったのは地元の勉強会で ― 深川先生との出会いを教えてください 知人に誘われ参加した地元の勉強会で初めてお会いしました。最初は、区議会議員と聞いていたので気やすく話しかけることができませんでした。 ― その後に何か用事があって連絡したのですか? それから数か月経って、地域にPRをするために議員さんとやりとりをする必要が出てきたのですが、私が議員さんとの繋がりがなく困っていたんです。そうしたら、深川先生と縁のある知人が、「深川先生に相談したらいいよ」と紹介してくれました。連絡をしたら、PRチラシの渡し方など丁寧にアドバイスをしていただきました。 行政との連携がチームの発展に欠かせない ― 五十嵐さんの仕事内容を教えてください 営業は、スポンサー集めと試合の集客が主な仕事です。おかげさまで、スポンサーは現在200社近くになりました。また、来場者数は2016-17シーズンに約千人、今シーズンは1,400人近くになり、より多くの地元の方が応援してくれています。地域連携では、地元の夏祭りや商店街のイベントに選手やスタッフが参加する調整役を担っています。 ― 深川先生にはどんなときに連絡や相談をしていますか? チームの存在が地元に根付き、さらに成長していくためには、行政との連携が欠かせません。深川先生には、行政との連携を図るときに、区の担当者を紹介していただいたり、地域との連携企画を相談したりするなど、多方面で協力していただいています。深川先生は、気さくな方で相談しやすいだけでなく、ビジネス感覚がありチームのこともよく理解してくださっているので、非常に心強い存在です。 深川先生もよく試合に足を運んでくださり、チームのことを応援してくれています。スポーツが地元に根付き活性化することで、地域に一体感が生まれ、「ものづくりの街」だけではない大田区の魅力になるとよくお話されています。 プロリーグに加盟するチームがあることは地域の誇り ― 2016年、公式にバスケットボールがBリーグとしてプロ化されましたね 日本の球技では野球、サッカーに次いで3番目のプロリーグとして発足し、とても話題になりました。そのBリーグに参加するチームが地元にあることは素晴らしいことですし、地域の誇りとなる可能性を秘めています。 最大の目標は、大田区にスポーツカルチャーを根付かせること ― 五十嵐さんがアースフレンズ東京Zで成し遂げたいことはなんですか? 私が目標としてしていることは3つあります。1つ目は、チームが強くなることです。2つ目は、トップとジュニアの育成の仕組みを地元につくることです。そして最大の目標は、大田区にスポーツカルチャーを根付かせることです。チームが出来て4年目ということもあり、まだまだ認知度が低いのが現状です。地域に愛されるようにしっかりと運営していき、街ぐるみでチームを応援するような雰囲気を大田区につくりたいです。 また、これら3つの要素が効果的に循環していくよう、環境づくりに力を入れることも大切だと思っています。「地道に活動する」→「認知度が高まる」→「資金が集まる」→「優秀なコーチや選手に投資ができる」→「チームが強くなる」→「地域が盛り上がる」、という好循環の仕組みをつくることが私の目標です。 ― 目標がとても具体的ですね 今取り組んでいることは、必ず将来に繋がると信じています。夢を実現するために、今は一歩一歩、目の前の課題をクリアにしていく必要があります。魅力的なスポーツコンテンツにつくりあげ、地元に少しでも還元できたらと思っています。みなさんには、まず一度でもいいので試合を観に来ていただきたいです。 深川先生はいつも客観的にアドバイスをしてくれる ― 最後に、深川先生は五十嵐さんにとってどんな人ですか? 仕事だけでなく、プライベートでもよくお酒をのむことがあるのですが、私にとって”頼りになる先輩”のような存在です。いつも客観的にアドバイスをしてくださり、自分にとって不利益になることも包み隠さず教えてくれるのは、深川先生の人柄なのだと思います。 ― ありがとうございました! 洋風居酒屋 ヤツハシ 今回取材でおじゃまさせていただいたお店の紹介です。 店長と五十嵐さんが知り合いで、深川先生とたまにのみに来るのだそう。 営業時間 ランチ(火曜~金曜) 12:00~14:00 ディナー(火曜~金曜) 17:00~24:00 (日曜、祝日) 17:00~22:00 (祝前日、土曜) 17:00~翌1:00 所在地 東京都大田区西蒲田7-60-8 西蒲田ビル1F ※JR蒲田駅西口から徒歩5分 予約・お問い合わせ 03-5711-8844 ホームページ URL

深川先生のようにご縁を大切にできる人になりたい/秋葉雄大さん(Plate Lunch Nanary)

池上本門寺朝市での出会いが始まりだった 池上駅から徒歩2分ほどにあるお弁当屋さんの店長、秋葉雄大さんをインタビュー。 2年前の池上本門寺朝市で深川先生と出会い、お店の運営や商品開発などのアドバイスを受けているというので、お2人の出会いやこれまでのいきさつを聴いてみました。 (文・一部写真:ワタナベミノリ) 秋葉雄大さん Plate Lunch Nanary店長。(2016年4月オープン) 1984年生まれ。杉並区出身。大田区池上在住。 大学卒業後、明治屋に6年ほど勤め、接客や販売を学んだ後、池上にお弁当屋を開店。2児の父親。趣味はスポーツ観戦。 池上本門寺朝市の協力的な雰囲気に惹かれた ― 池上本門寺朝市に出店されたきっかけは何だったんですか? 明治屋を退職した後、妻の実家の焼肉屋の自家製たれを売ろうと、各地域のマーケットで出店していました。感覚的に作っていたタレをお客様の声をもとに改良して、商品化したんです。 当時、結婚して池上に住んでいたので、池上本門寺の朝市にたまたま出店の応募をしたのがきっかけです。それが2015年11月のことです。 出店してみると、事務局の人も一緒に設営や片付けをやってくれることや地域イベントを活発に行っている様子に感動しました。当たり前のことのように聞こえるかもしれませんが、池上本門寺朝市のように協力的な雰囲気のあるマーケットにはなかなか出会えません。 ― そこで深川先生と出会ったのですか? 私が初出店した日は大雨でお客さんも少なく、深川先生が「初めて出店してくれたのに雨で残念だったね」と声をかけてくださったんです。 てっきり、事務局のお兄さんかと思っていたのですが、名刺を見たら議員さんで驚きました。これまで私は議員さんと接点がなく遠い存在だったのですが、「何か困ったことがあったら連絡してね」と気さくな方で好感を持てました。深川先生は池上地区商店会連合会事務局長で、その時から色々とサポートをしてくださいました。 ― その後、お店を開店されたんですね 最初は千葉や杉並区でお店を探していたのですが、自宅に近い池上でお店を開こうと決めました。深川先生に相談したら、もし大田区でお店をやるなら商店会を紹介できるよと言っていただいたんです。朝市に出店して以来、地域の人々に好感を持っていたので、ここだったらぜひ商店会に参加させていただきたいと思いました。 お店のコンセプトは、”安心・安全・健康的なおいしい食事” ― お店のコンセプトはどのように決めたのですか? 「自家製たれを使ったお弁当屋」とぼんやり決めていたのですが、深川先生と相談していたら何かこだわりを持った方がいいということで、山形県長井市のお米農家を紹介していただきました。また、野菜は保存料不使用にこだわり、お店のコンセプトを「安心・安全・健康的なおいしい食事ができるお弁当屋」にしました。 自家製タレ「秘伝のイケだれ」は大田のお土産100選を受賞 ― オリジナルの「秘伝のイケだれ」は大田のお土産100選に選ばれたそうですね 大田のお土産100選に選ばれることは当初からの目標だったので、受賞のお知らせを聞いたときはとても嬉しかったです。食品部門でイケだれのように保存が効くものは少なく、ラベルは地元ならではのこだわりを入れたものなので、これを機に区内外に広く認知されればと思っています。 お客様の声を丁寧に拾い上げ改良を重ねた”どんな料理にもイケるタレ” ― 「秘伝のイケだれ」はどんな料理に合いますか? お肉のもみだれやつけだれでもいいですが、冷ややっこにかけるだけでも抜群に美味しいです。Twitterのハッシュタグで「#イケだれ」と調べると、みなさんの利用方法を見ることができて、私もお客様の使い方を参考にしています。 例えば、隠し味的に唐揚げの下味や焼うどんにかけたり、マヨネーズのディップソースや晩酌用にお味噌と和えて野菜ステックにつけるなど、普段使いで幅広く活躍できる優れものなんです。 ― 今後の展望はありますか? 目標は2020年のオリンピックまでに、「秘伝のイケだれ」を空港のレギュラー商品として置いてもらうことです。ジャケ買いができるお土産として、海外の方にも愛される商品にしていきたいです。 今は、京急蒲田駅構内にある大田区観光情報センターに置いていただいています。「秘伝のイケだれ」が売れることで、「大田区池上」も相乗的に認知度が向上すれば、少しはこれまでの恩返しができるんじゃないかと思っています。 ” Hiden no Ikedare ” a bit spicy original source made by a bento shop in Ikegami area. It tastes and looks […]